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ルシフェラーゼ連載エッセイ

連載エッセイ ~Elucをめぐる旅の物語~

生命科学の大海原を生物の光で挑む

投稿日 2025年07月18日

近江谷 克裕
第137回 Elucをめぐる旅の物語-タイ・ラヨーンにて①-
近江谷 克裕
産業技術総合研究所 バイオメディカル研究部門
ASEANの十字路の中心はタイである。北にはラオス、ミャンマーが、東にラオス、カンボジア、そしてベトナムが位置する。西にミャンマー、マレーシアが、そして南にはシンガポール、インドネシアが位置する。タイのポスドクたちとの夕食では、いろいろな話が飛び交う(写真1−4)。経済力、研究開発力はシンガポールが1位、マレーシアはタイより少し上か、しかし同じくらいでいたい。でもベトナムが追いかけてきているというのが、彼らの実感のようだ。化粧品の売り上げをみるとシンガポール、タイと続き、マレーシアやベトナムより上だなという私見に、タイ人にとって化粧品は別だから、経済力のバロメータにならないという話でみな笑顔。
 
また、タイ人は近隣の他国人を見極めることができるかという質問に、国境紛争の当事国であるカンボジア人は認識できるが、ラオス人はタイ北部の民族に似ていて、認識できないという回答であった。ほかの国はという質問に、ミャンマー、ベトナム、マレーシア、インドネシア人の違いはわかるという答え。私にはわからないが、彼らにはその差がわかるらしい。そういえば、私も中国、韓国人を、自信をもって認識できると言いたいが、今はそう簡単ではない。それは、経済の発展と共に服装や持ち物、化粧や行動様式など遜色がなくなったためだろうと。そんな私の説明に、ASEANでもそんな時代が来るのか?彼らは懐疑的であった。
 
私はASEANの中でもタイは特殊であると思っている。第一に、第二次世界大戦下でも独立国家として成立していたことが、この地域では稀だからである。特に1932年の立憲革命を経て近代国家の体をなし、1941年には日本と日泰攻守同盟条約を結び、周辺国とは違い、日本の占領を免れた点を日本人は知るべきであろう。確かに日本の敗戦が色濃くなると、したたかに日本を切り捨て、欧米に近づいた点など、紆余曲折はあるが、見事に独立を果たしてきている。若い彼らによれば、ラーマ五代目国王のバランスの取れた全方位的な外交が植民地化を防ぎ、今日のタイを作ったという歴史観のようだ。
 
タイの若者たちと政治的な話は難しい。この要因の一つは、今でも王室に対する不敬罪が存在することなのかもしれない。政治の話を分け入っていくと、その一つの答えの出口が王室に関わる可能性もあるので、どうしても、政治の話の深みに近づくと小声になってしまう。しかし、私との関係も長いことから、意外と本音を言ってくれるので、夜の食事の時の楽しみは彼らとの会話である。英語も上手い彼らの早口にたまについていくも大変だが、話題がどんどんと広がり、本当に楽しい。
 
タイと日本の違いは、その地理的な関係によるのだろう。タイは東南アジアの真ん中という位置関係で、常に外交的な感覚が養われたのだろう。一方、日本はアジアの端っこであり、ともすれば、歴史的に見過ごされ、外交的な複雑な調整がなくても、生き残ってきた経緯がある。その分のしたたかさがないのが、幸せなのか、不幸なのか?だが、現在、東にアメリカ、西と南に中国、そして北にロシアという厄介な大国に囲まれ、日本は考えてみれば十字路の中心でもある。そんな時代に試されるのが、外交力、想像力であろうが、どうも心もとないのが現状に思える。政治家も国民も、何とかファーストなどの幻想、言葉にとらわれず、現実的な外交、選択に取り組んでもらいたいものだが、如何なものだろう。
  • 写真1 VISTEC近所のレストラン・マンミーと看板娘、そしてポスドクと。
    写真1 VISTEC近所のレストラン・マンミーと看板娘、そしてポスドクと。
  • 写真2 タイ北東部料理の専門店では鍋料理を堪能。
    写真2 タイ北東部料理の専門店では鍋料理を堪能。
  • 写真3 タイ北東部料理店といっても路面に面した素朴な店。
    写真3 タイ北東部料理店といっても路面に面した素朴な店。
  • 写真4 タイでもSNS映えした店が大人気。食べログ1位とか?
    写真4 タイでもSNS映えした店が大人気。食べログ1位とか?
著者のご紹介
近江谷 克裕(おおみや よしひろ) | 1960年北海道函館市に生まれる。1990年群馬大学大学院医学研究科修了。ポスドクなどを経て、1996年静岡大学教育学部助教授、2001年より産業技術総合研究所研究グループ長に就任、2006年10月より北海道大学医学研究科先端医学講座光生物学分野教授に就任、2009年より再び産業技術総合研究所研究主幹研究員、研究部門長、首席研究員を経て退職、2025年より大阪工業大学、ブカレスト大学客員教授として研究を継続する。生物発光の基礎から応用まで、生物学、化学、物理学、遺伝子工学、そして細胞工学的アプローチで研究を推進する。いまでも発光生物のフィールドワークがいちばん好きで、例年、世界中の山々や海で採取を行っている。
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