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ルシフェラーゼ連載エッセイ

連載エッセイ ~Elucをめぐる旅の物語~

生命科学の大海原を生物の光で挑む

投稿日 2025年11月21日

近江谷 克裕
第 141 回 Elucをめぐる旅の物語-ルーマニア・ブカレストにて③-
近江谷 克裕
産業技術総合研究所 バイオメディカル研究部門
ルーマニアに来て、毎日、ニュースだけは見ている。ほとんど聞き取れないが、画面の下部分にニュースの小見出しが出るので、それで何とか理解しようとしている。特にルーマニア語の一部が英語と同じものも多く、意外と内容がわかるような気もする。そんな中、私のみている範囲で日本に関するニュースが6本ほどあった。ノーベル賞受賞が2件、トランプ来日が2件と高市総理大臣就任1件、そしてもう1件が自衛隊が熊対策に乗り出したというものであった。この中で一番長い扱いが熊事件であったのには、少々驚いた。

今、ルーマニアでは毎日のようなウクライナのことがニュースになるし、NATO軍に関しても必ずと言ってほど、毎日のニュースになる。特にここ最近はNATO内のアメリカ軍がルーマニアから一部撤退は大きなニュースであった。その中、迷彩服を着た自衛官(軍隊に見えなくもない組織)が熊退治というのは、ルーマニアでは見慣れない風景と思ったのか?いや、ルーマニアでも熊は大きな問題で、犠牲者も出ているので、世界的な問題として、長めの尺だったのかもしれない(最近、ルーマニアでは熊のニュースはない)。日本人の思いと違い、各国の事情や認識の違いがニュースの長さに反映するのは仕方がない。極東日本の政治状況などが直接ルーマニアに影響することがないので、話題にならないのは当たり前かもしれない。
 ブカレスト大学の外国語学部には日本語学科があるが、今年は設立50周年にあたる(写真1、2)。生物学部の同僚から、なぜ?50年前に日本語学科が生まれたのかと質問された。今の教官に50年前の経緯を聞いたが、誰もわからないという。現役の教官さえ50年前は子供時代、しかもチャウシェスク時代のことは記憶も記録もあいまいなようだ。この11月に記念シンポジウムが開催され、ハンガリーやオーストリアの大学で日本語を教える先生方にお会いしたが、ブカレスト大学のような修士課程もある日本語学科は欧州でも少ないようだ。

ブカレスト大学は3年制であるが、先日、3年生の講義に参加した(3、4)。学生たちの大半は女子学生で、この学科を選んだ理由は、子供のころから日本のアニメが大好きで、日本語を選んだという子が多かった。その中の何人かの学生は、ボランティアとして、大阪万博に参加したそうで、さらに日本が好きになったと笑顔で語ってくれた。かなり流ちょうな日本語を話す子も多いが、日本語が話せると言って就職では有利ではないそうだ。ルーマニアに進出する日本企業は100社ちょっとだから、確かに就職には有利とはいえないだろう。

ルーマニアと日本が正式に国交を結んだのが1917年で、その後、戦争を挟んで1959年に国交が回復した。だが、活発な交流は2000年以降のようである。気になって50年前、昭和50年の日本のニュースを調べてみた。世界的にはベトナム戦争の終結、ビートルズ解散などがあるが、国内に目を向けると、失礼だがルーマニアで放送されるほどの大きなニュースはない。あるとしても沖縄海洋博の開催か?また、日本人が記憶するほどの事件もルーマニアにはなかった。そんな50年前に生まれた日本語学科からは多くの人材が輩出されている。そして、彼らが日本ブーム、日本ファンを作ったのかもしれない。そう考えると大学の使命、教育の使命は大きい。今、日本を悲観的な目で見る風潮があるが、今こそ、じっくり国の内外で人を育てる時ではないだろうか?50年先をみることが大事だろう。
  • 写真1  ブカレスト大学日本語学科創立50周年記念シンポジウムが開催された建物
    写真1  ブカレスト大学日本語学科創立50周年記念シンポジウムが開催された建物
  • 写真2 ブカレスト大学日本語学科が翻訳出版した本の一部。
    写真2 ブカレスト大学日本語学科が翻訳出版した本の一部。
  • 写真3 ブカレスト大学外国語学部日本語学科は街中の一画にある建物。
    写真3 ブカレスト大学外国語学部日本語学科は街中の一画にある建物。
  • 写真4 日本語学科の教室と壁に貼られている多くの日本関連のポスター。
    写真4 日本語学科の教室と壁に貼られている多くの日本関連のポスター。
著者のご紹介
近江谷 克裕(おおみや よしひろ) | 1960年北海道函館市に生まれる。1990年群馬大学大学院医学研究科修了。ポスドクなどを経て、1996年静岡大学教育学部助教授、2001年より産業技術総合研究所研究グループ長に就任、2006年10月より北海道大学医学研究科先端医学講座光生物学分野教授に就任、2009年より再び産業技術総合研究所研究主幹研究員、研究部門長、首席研究員を経て退職、2025年より大阪工業大学、ブカレスト大学客員教授として研究を継続する。生物発光の基礎から応用まで、生物学、化学、物理学、遺伝子工学、そして細胞工学的アプローチで研究を推進する。いまでも発光生物のフィールドワークがいちばん好きで、例年、世界中の山々や海で採取を行っている。
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