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ルシフェラーゼ連載エッセイ
連載エッセイ ~Elucをめぐる旅の物語~
生命科学の大海原を生物の光で挑む
投稿日 2025年09月20日

- 第 139 回 Elucをめぐる旅の物語-ルーマニア・ブカレストにて①-
- 近江谷 克裕
産業技術総合研究所 バイオメディカル研究部門
ルーマニアに来て2週間がたった。9月初めは30度を超える日もあったが、昼間は25度前後、そして朝晩は15度前後と秋の気配が漂い始めている。収穫祭なのか、公園の屋台ではブドウの果汁の販売やワインの販売が行われいている(写真1)。吞兵衛の私も露店でワインを購入した。スーパーに行けば、豊富に安いワインもそろっているのに、なぜか露店のワインにひかれて購入してしまった。驚くほど、ここは吞兵衛立国なのだろう。でも、たくさんあるワインを選ぶのは楽しいものだ。
さて、私は65歳、まだまだやれることがあると、退職を機にルーマニアで活動することにした。偶然の出会いといっても、これまでエッセイに何度か登場したカルメン教授の計らいでブカレスト大学生物学科の客員教授としてお世話になることになった。とはいえ、日本やタイでの活動もあるので、数か月周期で動き回ることになりそうだ。私がエッセイを書き始めた頃には想像さえできなかったが、ルーマニアで暮らすことになったわけだ。まだまだ、やりたいこともあるし、若い人に伝える知恵や経験もある。科学をできるだけ続けたいという気持ちを、ルーマニアで実践できるかもしれないと今は考えている。よって、これまで何度かルーマニアでの滞在記を記したが、当分、それが多くなることをご勘弁願いたい。
ブカレスト大学は設立1864年、現在の学生数は3万人を超えるルーマニアの名門大学の一つである。私が所属する生物学科は「国民の家(昔のチャウシェスク御殿)」のそばに建ち、古い建物と新しい建物で構成されている(写真2)。古い建物はコンクリート造りの重厚な建物だが、私がいるのは国民の家を見渡せる5階建ての新しい建物で、その5階にオフィスと実験室がある。まさにブカレスト市内の中心になる。宿舎も歩いて7、8分の法学部の横に建つゲストハウスであり、快適と言えないが研究に打ち込みやすい環境である(写真3)。
話は変わるが、渡航する前に古巣で若手に向けたセミナーを行った。研究者人生を振り返り、30歳代は“茫洋”(大海の向こうに居場所があるはずだが、先が見えないもどかしき日々)、40歳代は“盛ん”(夢中に駆け巡る日々)、50歳代は“たゆまず”(世の中が見えて、手を抜けるはずだが怠けたい自分を叱咤する日々)、そして60歳代は“いとおかし”と表現した。60歳を超えて、今更ながら感じる世の美しさや風情に心がときめくのである。忙しさの中、これまで気にも留めなかった夏場の百日紅の花。夏の陽光を浴びた青柿が、冬場にポツンとたたずみ、それを雀が啄ばむ姿。それらがすべて、本当に“いとおかし”なのだ。
ルーマニアの9月の楽しみの一つがEnescu festivalであろう(写真4)。Enescuはルーマニアを代表する20世紀の音楽家で5Lei札に描かれている。この音楽祭は1か月間に渡り行われるが、連日、その日のメインステージがTVで生放送される。3時間近くにおよぶ有名音楽家とオーケストラのコラボを連日見ることができるのだ。わが人生、毎日のようにクラッシック音楽に触れる機会が無かったせいか、聞きほれてしまった。特に、恥ずかしながらベートーベンの第9を最初から最後まで聞いたのは初めてで、最後にはなぜか涙がでた。これも“いとおかし”なのだろう。ルーマニアでの生活は“いとおかし”を探す旅かもしれない。
さて、私は65歳、まだまだやれることがあると、退職を機にルーマニアで活動することにした。偶然の出会いといっても、これまでエッセイに何度か登場したカルメン教授の計らいでブカレスト大学生物学科の客員教授としてお世話になることになった。とはいえ、日本やタイでの活動もあるので、数か月周期で動き回ることになりそうだ。私がエッセイを書き始めた頃には想像さえできなかったが、ルーマニアで暮らすことになったわけだ。まだまだ、やりたいこともあるし、若い人に伝える知恵や経験もある。科学をできるだけ続けたいという気持ちを、ルーマニアで実践できるかもしれないと今は考えている。よって、これまで何度かルーマニアでの滞在記を記したが、当分、それが多くなることをご勘弁願いたい。
ブカレスト大学は設立1864年、現在の学生数は3万人を超えるルーマニアの名門大学の一つである。私が所属する生物学科は「国民の家(昔のチャウシェスク御殿)」のそばに建ち、古い建物と新しい建物で構成されている(写真2)。古い建物はコンクリート造りの重厚な建物だが、私がいるのは国民の家を見渡せる5階建ての新しい建物で、その5階にオフィスと実験室がある。まさにブカレスト市内の中心になる。宿舎も歩いて7、8分の法学部の横に建つゲストハウスであり、快適と言えないが研究に打ち込みやすい環境である(写真3)。
話は変わるが、渡航する前に古巣で若手に向けたセミナーを行った。研究者人生を振り返り、30歳代は“茫洋”(大海の向こうに居場所があるはずだが、先が見えないもどかしき日々)、40歳代は“盛ん”(夢中に駆け巡る日々)、50歳代は“たゆまず”(世の中が見えて、手を抜けるはずだが怠けたい自分を叱咤する日々)、そして60歳代は“いとおかし”と表現した。60歳を超えて、今更ながら感じる世の美しさや風情に心がときめくのである。忙しさの中、これまで気にも留めなかった夏場の百日紅の花。夏の陽光を浴びた青柿が、冬場にポツンとたたずみ、それを雀が啄ばむ姿。それらがすべて、本当に“いとおかし”なのだ。
ルーマニアの9月の楽しみの一つがEnescu festivalであろう(写真4)。Enescuはルーマニアを代表する20世紀の音楽家で5Lei札に描かれている。この音楽祭は1か月間に渡り行われるが、連日、その日のメインステージがTVで生放送される。3時間近くにおよぶ有名音楽家とオーケストラのコラボを連日見ることができるのだ。わが人生、毎日のようにクラッシック音楽に触れる機会が無かったせいか、聞きほれてしまった。特に、恥ずかしながらベートーベンの第9を最初から最後まで聞いたのは初めてで、最後にはなぜか涙がでた。これも“いとおかし”なのだろう。ルーマニアでの生活は“いとおかし”を探す旅かもしれない。
写真1 公園の中でブドウの絞りだしを体験できる。ブドウ水は奥の絞り機で販売する。
写真2 ブカレスト大学の生物学部の新旧の建物、私は左の棟の5階にいます。
写真3
写真4
- 著者のご紹介
- 近江谷 克裕(おおみや よしひろ) | 1960年北海道函館市に生まれる。1990年群馬大学大学院医学研究科修了。ポスドクなどを経て、1996年静岡大学教育学部助教授、2001年より産業技術総合研究所研究グループ長に就任、2006年10月より北海道大学医学研究科先端医学講座光生物学分野教授に就任、2009年より再び産業技術総合研究所研究主幹研究員、研究部門長、首席研究員を経て退職、2025年より大阪工業大学、ブカレスト大学客員教授として研究を継続する。生物発光の基礎から応用まで、生物学、化学、物理学、遺伝子工学、そして細胞工学的アプローチで研究を推進する。いまでも発光生物のフィールドワークがいちばん好きで、例年、世界中の山々や海で採取を行っている。