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ルシフェラーゼ連載エッセイ

連載エッセイ ~Elucをめぐる旅の物語~

生命科学の大海原を生物の光で挑む

投稿日 2015年12月22日

近江谷 克裕
第22回 ルシフェラーゼElucをめぐる旅の物語
- インドに、そしてアメリカへ
近江谷 克裕
産業技術総合研究所 バイオメディカル研究部門
日本との時差3時間半の国、すぐに日本時間がわかりますか?先月に引き続き、インドに出張した。インドでつらいのはこの時差3時間半。体力的には夜更かしをして、朝寝坊する感覚なのであるが、歳をとったせいか、あるいは早起きの習慣が身に着いたせいか、インド時間の夜中3時くらいに目が覚める。つまり日本時間の朝6時から6時半の間に一旦、目が覚めるのである。

でも、これだけではない。問題は時差のおまけ30分なのである。日本時間から3時間半を戻す時、どうも中途半端でわからなくなる。日本時間午後2時15分に連絡すると約束した時、冷静に考えればわかるものだが、インド時間で午後10時45分なのか、11時45分なのか、意外と混乱する。さすが0(ゼロ)を作った国の人達とは思うが、世界中を敵に回しているようで、困ったものである。

今回の旅は、公用で急遽、決まったもの。インドRCB(Regional Center of Biotechnology)に研究部門のブランチを開所したのである(写真1)。しかし、実は、12月13日から米国に行く予定もあった。都合が良い?ことに、12月12日深夜にデリーを出れば、米国に行くことができる。私は13日午前1時15分(日本時間13日午前4時45分)にデリーを出発、13日午後12時45分には日本に着き、午後5時半には再び日本を発ち、着いたのは時差17時間の13日午前9時半の米国シアトル空港 (写真2)。さらにポートランド市に移動、やっと13日を終えることができた。私の12月13日は、何と37時間30分となった(正しいよね、計算)。まさにTHE LONGEST DAYである。

さて、我々の身体には24時間周期で働く、体内時計遺伝子がある。有名なのはピリオドPer2遺伝子やビーマルBmal1遺伝子であるが、二つの遺伝子は体内のすべての細胞内において24時間周期で遺伝子発現が増減、しかも二つの遺伝子は、ほぼ正確に12時間ほど、位相がずれている。これを正確に解析するのには、ホタルルシフェラーゼが大いに役立っている。我々のグループでは、以前も説明した赤色と緑色の甲虫のルシフェラーゼを用いることで、Per2遺伝子とBmal1遺伝子の24時間の周期性をモニターできる二色発光マウスを作製、組織毎の細胞の24時間の周期性は厳密に保たれている(図1)が、組織相互間ではわずかに異なることを証明した。

この体内時計の周期性をみて、いつも思うことだが、増えたり減ったりするが、差し引きゼロだなということ。これこそ生命の恒常性を保ち、一定に活動する上での基本動作なのかもしれない。さらに、なんとも人生にも当てはまるような気にもなってくる。好いこともあれば悪いこともある、何だかんだと言って、差し引きゼロが基本と。

さて、インドから成田を経由、アメリカ本土では友人のいるOHSU(オレゴン健康科学大学)で二日間過ごした後、ハワイに移動した(写真3)。そこでPacificChem2015に参加した。参加後、18日午後5時半にホノルルを出発。着いたのは19日午後10時の羽田である。よって、私の12月19日はたった2時間で終わることになってしまった。まさに私のTHE SHORTEST DAYである。せっかく長い長い一日を過ごしたとしても、いつかは精算の時が来る。人生差し引きゼロ。なんとなくそう思うのは私だけかな?
  • 写真1: インドRCB
(Regional Center of Biotechnology)に
産総研の共同実験ラボ(DAILAB)を開所
    写真1: インドRCB
    (Regional Center of Biotechnology)に
    産総研の共同実験ラボ(DAILAB)を開所
  • 写真2: シアトル空港の人込み
誰もが先を急ぐ、日曜日の午前中
    写真2: シアトル空港の人込み
    誰もが先を急ぐ、日曜日の午前中
  • 写真3: ハワイでは皆さん、プールでゆったり
    写真3: ハワイでは皆さん、プールでゆったり
  • 図1: 
細胞内の体内時計遺伝子の発現パターン
24時間周期の二つの遺伝子は
12時間位相がずれている
    図1:
    細胞内の体内時計遺伝子の発現パターン
    24時間周期の二つの遺伝子は
    12時間位相がずれている
著者のご紹介
近江谷 克裕(おおみや よしひろ) | 1960年北海道函館市に生まれる。1990年群馬大学大学院医学研究科修了。ポスドクなどを経て、1996年静岡大学教育学部助教授、2001年より産業技術総合研究所研究グループ長に就任、2006年10月より北海道大学医学研究科先端医学講座光生物学分野教授に就任、2009年より再び産業技術総合研究所研究主幹研究員を経て、2012年より現産業技術総合研究所バイオメディカル研究部門研究部門長に就任。生物発光の基礎から応用まで、生物学、化学、物理学、遺伝子工学、そして細胞工学的アプローチで研究を推進する。いまでも発光生物のフィールドワークがいちばん好きで、例年、世界中の山々や海で採取を行っている。特に中国雲南省、ニュージーランドやブラジルが大好きである。
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