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ルシフェラーゼ連載エッセイ

連載エッセイ ~Elucをめぐる旅の物語~

生命科学の大海原を生物の光で挑む

投稿日 2021年06月21日

近江谷 克裕
第88回 Elucをめぐる旅の物語-歯科医院にて-
近江谷 克裕
産業技術総合研究所 バイオメディカル研究部門
この歳になって「親知らず」を抜くことになった。若いうちに2本ほど「親知らず」は抜歯していたが、右下奥歯の「親知らず」は虫歯で抜いた歯のブリッジの支台として利用していた。しかし、時間の経過とともに、この歯が虫歯となり支台の役割を担うことが出来なくなり、抜くはめになった。元気印で生きてきたつもりだが、老いを意識せざるを得ない出来事だ。そういえば、昔のことは覚えているが、最近の人の名前など、急に思い出せないこともある。
 
「親知らず」は,縄文時代に8割の人が生えそろっていたが、現代人で「親知らず」が生えそろうのは3割も満たないようだ。近い将来、全く生えなくなると予想する研究者もいる。硬いものを食べていた時代から柔らかい食べ物が主流となった食生活の変化と共に、「親知らず」は不必要な存在となり生えなくなったと、人類の「退化という名の進化」として説明されている。しかし、生物を研究する私の感覚では少し早すぎる変化(進化)にも思える。

私の専門である発光生物の中には、ホタルのように光を“コミュニケーションツール”として、あるいはホタルイカのように敵から身を隠すため光を“影を消すツール”として有効に使っているものもいる。しかし、夏場に日本沿岸で大発生する赤潮の中の夜光虫のように、光がなんのために使われているのか不明な生物も多い。特に赤潮の中の藻類には光る種は少ないこともあり、いらない機能に思えるのである。そんな不要に思える機能でさえ、無くならないのも進化であるところが生物の面白さだろう。

よって、私は人間のたかだか数千年程度の食生活の変化によって「親知らず」がなくなることに違和感を持ってしまうのである。ただし、人間は他の生物からみれば新顔の生物であり、まだまだ、進化の途中であるのかもしれないし、激変する環境に上手く対応しているのかもしれないと、歯の数の変化に納得する部分もある。

歯医者さんから、抜歯しブリッジがなくなることで噛み合わせの相手の歯が伸びることがあるので、インプラントなどの処置をすることを勧められた。歳を重ねて、もう成長が止まったと思っていたが、歯は成長?できるようだ。食事の際、何気なく行われる歯と歯を噛み合わせ作業は、歯が適当な大きさに維持される上で重要だそうだ。口内という小世界は歯と歯の運動、唾液の化学、そして口腔内細菌の生態系の微妙なバランスによって保たれているのだろう。成長と抑制が同時に行われることでバランスが保たれているのが生物の妙であろう。

そんなことを思っていると、急にインドが恋しくなった。あの雑多な世界は絶妙なバランスが保たれている。コロナ禍で苦しんでいる人間もいれば、そんなことにお構いなくガンジス川で沐浴してしまう人間もいる。人間性の全てを映し出す世界がそこにはある。きっとインド人は維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァ、創造神ブラフマーが世界を構成し、維持と破壊のバランスの上に創造が生まれることを地肌感覚でわかっているのかもしれない(写真1,2)。

さて、「親知らず」は英語では“wisdom tooth” と分別が付く頃に生える歯とされているが、「親知らず」が無くなった今、新たな分別の時期かもしれないと思ってしまった。願わくは自分の中にある創造、維持、さらには破壊できる力で、さらに挑戦を続けたいと思う次第である。
  • 写真1 南インドの建物の上に並ぶ神々
    写真1 南インドの建物の上に並ぶ神々
  • 写真2 リシケシの川に立つ破壊神シヴァ像
    写真2 リシケシの川に立つ破壊神シヴァ像
著者のご紹介
近江谷 克裕(おおみや よしひろ) | 1960年北海道函館市に生まれる。1990年群馬大学大学院医学研究科修了。ポスドクなどを経て、1996年静岡大学教育学部助教授、2001年より産業技術総合研究所研究グループ長に就任、2006年10月より北海道大学医学研究科先端医学講座光生物学分野教授に就任、2009年より再び産業技術総合研究所研究主幹研究員を経て、2012年より現産業技術総合研究所バイオメディカル研究部門研究部門長に就任。生物発光の基礎から応用まで、生物学、化学、物理学、遺伝子工学、そして細胞工学的アプローチで研究を推進する。いまでも発光生物のフィールドワークがいちばん好きで、例年、世界中の山々や海で採取を行っている。特に中国雲南省、ニュージーランドやブラジルが大好きである。
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