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ルシフェラーゼ連載エッセイ

連載エッセイ ~Elucをめぐる旅の物語~

生命科学の大海原を生物の光で挑む

投稿日 2023年08月21日

近江谷 克裕
第114回 Elucをめぐる旅の物語-ルーマニア・ブカレストにて-
近江谷 克裕
産業技術総合研究所 バイオメディカル研究部門
評価ほど難しいものはない。我々の世代にとってルーマニアの政治家といえばチャウセシクだろう。1989年のルーマニア革命において銃殺された映像は、私には衝撃的だった。しかし、友人のCarmen先生によると彼は再評価されているとのこと。農業国から工業国への変革、地下鉄を始めとした都市整備の功績など(写真1,2)、現代ルーマニアの発展に大きく貢献した点が再評価されているそうだ。当然、後半生の独裁政権には皆さん批判的ではあるが、現在のルーマニアは彼の功績を冷静に判断できる時代になったようだ。

評価で思い出すのは、ローマ帝国時代の五賢帝の一人トライアヌスかもしれない。ブカレスト市内の国立歴史博物館にはダキア戦役のトライアヌス円柱の実物大のレプリカがある。私はこれを見終わるのに1時間はかかったが、見事なものであった(写真3)。この戦役の後、多くのダキア人は土地を追われ、その代わりにローマ帝国内のラテン人が移住した。バルカン半島での唯一のラテン語圏の国の始まりは、トライアヌスを抜きにしては語れない。

塩野七生氏は、ローマ人の物語の中で、タキトゥスを始めとした多くの歴史家が、元老院から評判の良かったトライアヌスの治世を記述しなかった点を指摘している。タキトゥスは「まれなる幸福な時代」と記述しているだけで、それ以上の記述はなかった。これは後世の歴史家も同様で、五賢帝とは言いつつもトライアヌスを継いだハドリアヌスからの記述が中心であり、ルーマニアの創設者に対しては、あまり興味を持たなかったようだ。まるで完璧にものをこなす優等生過ぎる友人に、親しみも面白みも感じなかったようにだ。

しかし、ルーマニア人にとってはどうだろうか?Carmen先生はブカレスト市内でみるべきリストの一番目がこの歴史博物館であり、2番目は以前の国王が残した庭園、現在のブカレスト大学の植物園である。残念ながらチャウセシクの作った「国民の館」ではなかった(写真4)。ルーマニア人にとって、トライアヌス円柱に描かれている彼こそ、ルーマニア人の原点として存在なのだろう。イタリアにあるトライアヌス円柱の実物大の円柱を歴史博物館に据えたのは、彼らなりの自らのルーツに対する評価なのだろう。

さて、私はこの十数年、生物発光の測定の標準化に関わり、ホタルの量子収率の再評価、発光する細胞の全体光子数の定量化、あるいは生物発光を用いた免疫組織染色の可視化、その光子数による定量化に取り組んできた。そして、一見、バラバラに見えるそれらの論文をまとめる形で、本年春に英語の総説を”Biosensors”という学術誌に掲載した。先月のことだが、その総説の中でも引用した論文著者の一人である88歳のJhon Lee先生から、「論文を読んだ、まさに私がやりたかったこと」というお褒めの言葉をいただいた。予期せぬ評価に、この総説を一緒に書き上げた共著者の方々とメールを共有した次第だ。

誰からもから評価されることは難しいし、評価されるために仕事をしている訳でもない。多くの場合、善悪は別としても自から信じることを実践しているだけだろう。その振る舞いを誰かが評価するかもしれないし、評価しないかもしれない。一方、自らも評価者になることもあるだろう。88歳のLee先生のように、素直に後継ランナーを評価できるだろうか?評価に一喜一憂するよりも、素直に評価できる人間になろうと肝に銘じた夏になった。
  • 写真1 ブカレスト市内を網羅する地下鉄駅ホーム。車内もきれいです。
    写真1 ブカレスト市内を網羅する地下鉄駅ホーム。車内もきれいです。
  • 写真2 ルーマニア国内を自由に往来できる鉄道網だが、周辺国とのつながりは薄い。
    写真2 ルーマニア国内を自由に往来できる鉄道網だが、周辺国とのつながりは薄い。
  • 図3 実物大のトライアヌス円柱は分割され、触れることもできる。
    図3 実物大のトライアヌス円柱は分割され、触れることもできる。
  • 写真4 チャウセシクの自宅?今は「国民の館」と言われ見学可能である。
    写真4 チャウセシクの自宅?今は「国民の館」と言われ見学可能である。
著者のご紹介
近江谷 克裕(おおみや よしひろ) | 1960年北海道函館市に生まれる。1990年群馬大学大学院医学研究科修了。ポスドクなどを経て、1996年静岡大学教育学部助教授、2001年より産業技術総合研究所研究グループ長に就任、2006年10月より北海道大学医学研究科先端医学講座光生物学分野教授に就任、2009年より再び産業技術総合研究所研究主幹研究員を経て、2012年より現産業技術総合研究所バイオメディカル研究部門研究部門長に就任。生物発光の基礎から応用まで、生物学、化学、物理学、遺伝子工学、そして細胞工学的アプローチで研究を推進する。いまでも発光生物のフィールドワークがいちばん好きで、例年、世界中の山々や海で採取を行っている。特に中国雲南省、ニュージーランドやブラジルが大好きである。
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