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ルシフェラーゼ連載エッセイ

連載エッセイ ~Elucをめぐる旅の物語~

生命科学の大海原を生物の光で挑む

投稿日 2023年11月21日

近江谷 克裕
第117回 Elucをめぐる旅の物語-ルーマニア・ドナウデルタにて-
近江谷 克裕
産業技術総合研究所 バイオメディカル研究部門
ガイドが指さした方向に、ウクライナがあった。ドナウデルタ北部の河口にルーマニアとウクライナの国境がある。ウクライナ側には建物も見当たらず、一本の線のように見える大地からは何も聞こえないし、特別なことはない(写真1)。当たり前のことだが、戦争しているのはウクライナの東部だ。ここウクライナ南西部まで戦線が拡大していたら、私はルーマニアにはいないだろう。しかし、生まれて初めて目にしたウクライナはドナウ河の下流に位置し、ドナウ河に連なるヨーロッパの国々の一つであることが実感できた。そりゃ、EUに入りたいだろう。

ドナウ河はヨーロッパで2番目に長い河川で、ドイツ南部を水源とし、10か国以上を通って黒海にそそぐヨーロッパの大動脈の一つである。オーストリアで見たドナウ河は、口ずさむ音楽のせいか優雅なワルツの調べだったが、ドナウデルタまで来ると、川の力強さ、その広がりの中にシンフォニーの静寂な調べを聞く思いがした。そして、雄大な自然の中、ペリカンの群れが飛んでいる姿に、さすが!世界自然遺産だと実感した。私はブカレスト大学のスフンツ・ゲオルグの研究施設に滞在し、植物学を専門とするポスドクの採取に付き合った。デルタの数百を超える中州の島々には固有種も多く、まだまだ研究の余地も多いとのこと、彼女によるとホタルは見るが、あまり研究されていないとのことでもあった。

10月は中秋のはずだが、今年のルーマニアは日本と同様に暖かく、黒海の水温も高い。そんな中、ポスドクの彼女が泳ぎ出したのにはびっくりした。さすがに泳いでいるのは彼女くらいだ。沖には貨物船が行き来する光景が見えるが、ルーマニア領海を航行するウクライナの貨物船かもしれない(写真2)。黒海には古代からの海の道があり、往来の途絶えることがないのだろう。ブカレストに帰る途中に紀元前1世紀に建てられたイストリアのローマ軍の基地遺跡(写真3)を見たが、この周辺はギリシャ時代から続く要所であり、アテネなどのポリスは黒海沿岸の植民地から小麦の提供を受けていたのだろう。もう秋なので収穫は終わっていたが、デルタ周辺の延々と続く小麦畑は紀元前からの原風景かもしれない。

ドナウデルタ内の多くの家屋が茅葺の屋根であった。デルタ地帯には豊富な葦(ヨシ)が生い茂っているので、それを利用しているのだろう。人間は、与えられるものが同じなら、考えることも同じなんだろう。ポスドクの彼女に京都美山の茅葺の里を見せたところ、似ているとびっくりしていた。一方、デルタ周辺の家屋には特徴があり、緑の屋根や壁飾りがあるものはウクライナからの移民の家だそうだ。この周辺は、昔からロシアやウクライナから、迫害などを逃れて移住してきた人々が多く住み、彼らの出身地が家屋の様式に反映しているそうだ。黒海周辺国は争いが絶えないが、ドナウデルタとその周辺は、ひっそりと暮らすには便利な場所なのかもしれない。実際、街は少し異なる形式の教会を中心に落ち着いた街並みであった。

ブカレストに戻り、友人とパブに入った。ルーマニア人の容姿の特徴の一つは、東西南北の人種の融合かもしれない。パブの外のテーブルにも、そんなルーマニアの人々が楽しげにビールを飲みながら会話をしていた(写真4)。まさに誰もが望む平和な世界だ。たった一本の川を挟んでの違いが、現在の世界の有様かもしれない。友人とビールを飲みながら、ドナウデルタでの野外調査の夢を語る自分がいた。平和とは尊いものだ。
  • 写真1 ドナウデルタからみるウクライナは水平線の大地。
    写真1 ドナウデルタからみるウクライナは水平線の大地。
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写真2 黒海は波静か、遠くに小さく見える貨物船はウクライナの貨物船か?

    写真2 黒海は波静か、遠くに小さく見える貨物船はウクライナの貨物船か?
  • 写真3 イストリアのローマ軍の基地の遺跡。
    写真3 イストリアのローマ軍の基地の遺跡。
  • 写真4 ブカレストのパブの窓越しに、人々の歓談する姿が見える。
    写真4 ブカレストのパブの窓越しに、人々の歓談する姿が見える。
著者のご紹介
近江谷 克裕(おおみや よしひろ) | 1960年北海道函館市に生まれる。1990年群馬大学大学院医学研究科修了。ポスドクなどを経て、1996年静岡大学教育学部助教授、2001年より産業技術総合研究所研究グループ長に就任、2006年10月より北海道大学医学研究科先端医学講座光生物学分野教授に就任、2009年より再び産業技術総合研究所研究主幹研究員を経て、2012年より現産業技術総合研究所バイオメディカル研究部門研究部門長に就任。生物発光の基礎から応用まで、生物学、化学、物理学、遺伝子工学、そして細胞工学的アプローチで研究を推進する。いまでも発光生物のフィールドワークがいちばん好きで、例年、世界中の山々や海で採取を行っている。特に中国雲南省、ニュージーランドやブラジルが大好きである。
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