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ルシフェラーゼ連載エッセイ

連載エッセイ ~Elucをめぐる旅の物語~

生命科学の大海原を生物の光で挑む

投稿日 2024年01月22日

近江谷 克裕
第119回 Elucをめぐる旅の物語-寄り道・「アンの娘リラ」-
近江谷 克裕
産業技術総合研究所 バイオメディカル研究部門
考えてみれば多くの戦場跡を見てきた。ローマ軍とユダヤ人が最後に争ったマサダの砦跡(写真1,2)。この戦いを経て、ハドリアヌス帝は過激なユダヤ人を離散させ、パレスチナの地から追放した。今につながるパレスチナ戦争の深淵はここにあるのかもしれない。或いは黒海沿岸のEnisalaの要塞跡はイスラムと東方キリスト教の攻防の歴史を今に伝えている(写真3,4)が、未だにバルカン半島にはキリスト教徒とイスラム教徒のわだかまりは存在する。しかし、戦った場所に送り出された人々の攻防の物語はあっても、銃後にいる送り出した側の物語は少ないように思える。

この正月休みに「赤毛のアン(訳・松本侑子)」シリーズの最終巻「アンの娘リラ」を読んでいた。第一次世界大戦の始まる直後から終戦後までの“アンの末娘リラ”の物語である。リラの3人の兄たちの出征と2番目の兄ウォルターの死、愛する恋人ケネスの出征と帰還。戦争の始まりから終わりまでの歴史的な流れを、スーザンの義憤と共に語らせることで、戦争の成り行きが見事に伝えられている。そして兄たちやケネスとの手紙のやり取りを絡めたリラの心の動きを通じて、送り出した側の人々の悲喜交々を、そして戦争の残忍さを、静かに語り継ぐ見事な戦争文学であった。
現在、進行中のウクライナ戦争やパレスチナ戦争において、前線で戦う人々の情報はあるが、送り出した側の心情を伝える情報は少ないし、心の葛藤に光を当てることは少ない。昨年、何度か訪ねたルーマニアで何人かのウクライナの人々に出会ったが、きっとリラやアンのような心情を抱えていたのだろうと、思えるようになった。第一次世界大戦の兵士の戦死者は900万人以上といわれているが、勝ち負けに関係なく、その何倍もの数の送り出した側の人々がいたことを忘れてならないだろう。そして現在も、兵士を送り出した側の人々がいることを忘れてはいけないだろう。例え、攻撃するイスラエル兵士を送り出した側の人々であってもだ。

少し恥ずかしい話だが、この本を読みながら何度も涙した。当初、飛行機の中で読み始めたが、あまりにも涙が出るものだから、正月休みの本になった訳である。「赤毛のアン」シリーズでは1、2巻でもよく泣かされたが、8巻が圧巻の作であろう。モンゴメリーが47歳で、作家として最も円熟した時期なのだろうし、第一次世界大戦直後に書かれたことから、戦争に対する彼女の思いも綴られていたのだろう。

“アン”シリーズは、この8巻が出版された後に第4と6巻が執筆されている。これらの2巻はモンゴメリーが60歳代に執筆したもので、読んでいて退屈な描写が気になった。かのモンゴメリーもそうだが、歳を取ることの感覚の鈍さは自覚しなくてはと思った次第である。そう思って世界をみると、米露中、それにイスラエルや日本の政界のトップの年齢が気になった。この方々が今の世界の混迷を作っているのではないだろうか?私は涙を流す流さないは別として、これらの指導者が送り出す側の気持ちも理解する、或いは同苦できる方々であって欲しいと思う次第である。今年こそ平和の始まりであって欲しいと思うが、彼らがトップであるならやはり無理だろう。
  • 写真1 麓近くから見たマサダの砦の跡。
    写真1 麓近くから見たマサダの砦の跡。
  • 写真2 マサダ砦の側面の様子。
    写真2 マサダ砦の側面の様子。
  • 写真3 Enisala要塞の全景。周辺には一面の小麦畑。
    写真3 Enisala要塞の全景。周辺には一面の小麦畑。
  • 写真4 Enisala要塞からはドナウデルタに連なる湖が、その先には黒海。
    写真4 Enisala要塞からはドナウデルタに連なる湖が、その先には黒海。
著者のご紹介
近江谷 克裕(おおみや よしひろ) | 1960年北海道函館市に生まれる。1990年群馬大学大学院医学研究科修了。ポスドクなどを経て、1996年静岡大学教育学部助教授、2001年より産業技術総合研究所研究グループ長に就任、2006年10月より北海道大学医学研究科先端医学講座光生物学分野教授に就任、2009年より再び産業技術総合研究所研究主幹研究員を経て、2012年より現産業技術総合研究所バイオメディカル研究部門研究部門長に就任。生物発光の基礎から応用まで、生物学、化学、物理学、遺伝子工学、そして細胞工学的アプローチで研究を推進する。いまでも発光生物のフィールドワークがいちばん好きで、例年、世界中の山々や海で採取を行っている。特に中国雲南省、ニュージーランドやブラジルが大好きである。
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