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ルシフェラーゼ連載エッセイ
連載エッセイ ~Elucをめぐる旅の物語~
生命科学の大海原を生物の光で挑む
投稿日 2024年05月21日

- 第123回 Elucをめぐる旅の物語-タイ・ラヨーン、バンコックにて-
- 近江谷 克裕
産業技術総合研究所 バイオメディカル研究部門
タイの大学にいると懐かしさ、ノスタルジーを感じることがある。それは昭和から平成にかけての時代の雰囲気。つまりは、私が大学院からポスドクとして過ごした時代の研究室の匂いなのかもしれない。私は群馬大学医学研究科で学位を取得した後、大阪バイオサイエンス研究所でポスドク生活をスタートした。あの頃の研究生活は24時間営業とは言わないが、実験と宴会の日々だった。自主的か、強制的かはわからないが、実験も良くするが、仲間内でお酒もよく飲んだ。酒を飲んだ後で実験もしたし、二日酔いの日も実験をした。あまり誇れる研究者人生のスタートではないが、懐かしい日々である。
私が招聘教授を勤めるタイVISTECの大学院生やポスドク達は朝から晩まで、また、土日もなく、よく実験をする。いつも夕食のビールには付き合ってくれるが、その後に研究室に直行する者も多い(と言っても、ビールを飲むのは私だけだが)(写真1,2)。大学内での夕食に飽きて、誰彼かの車で食事にでかける姿があちらこちらで見かけられるなど、仲間内の団結は強い。一つはVISTECがバンコックから離れたラヨーンの山の中にあるせいかもしれないし、食事もショッピングも車を持っている大学院生やポスドクに頼らざるを得ないためかもしれない。実験も、厳しい教官の要求を素直に答えるタイプが多いので、やるしかないのかもしれない。そんな彼らの姿に、昔の自分を重ね合わせて懐かしさを感じてしまうのかもしれない。
3月のタイ滞在中に、バンコック市内のマヒドン大学を訪問したが、ある研究テーマが上手くいかないとの相談を受けた(写真3,4)。彼らは、確かに関連する論文を、最新のものを含めてよく読み込んでいるし、試薬も最新グレードのものだ。プロトコール的には間違っていないのである。ただし話を聞いていると確認するべき点が確認されていないし、試薬の調整も注意するべき点が違っていたりした。つまり、論文に書かれていない部分のノウハウまでは、十分にわかっていないことになる。
似た話だが、企業の方から、ある酵素を生産しようと思ったが、昔のデータを再現できないという話を聞いた。確かにプロトコールや注意書きだけでは、そのノウハウは伝わらない。その当時の研究者は、文書に残せない部分でちょっとした工夫や先人のアドバイスを活用していたのだろう。時間が経てば、そんな情報は伝達されず、その結果として、研究成果を再現することが大変になるのだろう。当世、AI学習させれば、答えが出るという考えが流行っているが、本当だろうか?それは、生身の実験では文書やデータでは残せない情報が隠されているはずだからだ。やはり、人が大事であり、人から人に伝える作業は欠かせないであろう。最終的には、そんな情報を含めてAI学習させるのだろうが、表に現れない情報をどう探るかが鍵だろう。私が思うには、研究現場ではAI技術に限界があるだろう。
タイの大学ではノスタルジーに浸っているばかりではなく、彼らの“今風の生き方”に気づくことも多い。日本の若者と同様にスマフォ片手に実験する姿や私より流暢な英語で会話する姿など、あの頃の私とは、かなり違うスマートな姿に、時代の流れを感じることもある。「ノスタルジー」の対義語は「傷心」らしいが、そんな気分にもなる。
私が招聘教授を勤めるタイVISTECの大学院生やポスドク達は朝から晩まで、また、土日もなく、よく実験をする。いつも夕食のビールには付き合ってくれるが、その後に研究室に直行する者も多い(と言っても、ビールを飲むのは私だけだが)(写真1,2)。大学内での夕食に飽きて、誰彼かの車で食事にでかける姿があちらこちらで見かけられるなど、仲間内の団結は強い。一つはVISTECがバンコックから離れたラヨーンの山の中にあるせいかもしれないし、食事もショッピングも車を持っている大学院生やポスドクに頼らざるを得ないためかもしれない。実験も、厳しい教官の要求を素直に答えるタイプが多いので、やるしかないのかもしれない。そんな彼らの姿に、昔の自分を重ね合わせて懐かしさを感じてしまうのかもしれない。
3月のタイ滞在中に、バンコック市内のマヒドン大学を訪問したが、ある研究テーマが上手くいかないとの相談を受けた(写真3,4)。彼らは、確かに関連する論文を、最新のものを含めてよく読み込んでいるし、試薬も最新グレードのものだ。プロトコール的には間違っていないのである。ただし話を聞いていると確認するべき点が確認されていないし、試薬の調整も注意するべき点が違っていたりした。つまり、論文に書かれていない部分のノウハウまでは、十分にわかっていないことになる。
似た話だが、企業の方から、ある酵素を生産しようと思ったが、昔のデータを再現できないという話を聞いた。確かにプロトコールや注意書きだけでは、そのノウハウは伝わらない。その当時の研究者は、文書に残せない部分でちょっとした工夫や先人のアドバイスを活用していたのだろう。時間が経てば、そんな情報は伝達されず、その結果として、研究成果を再現することが大変になるのだろう。当世、AI学習させれば、答えが出るという考えが流行っているが、本当だろうか?それは、生身の実験では文書やデータでは残せない情報が隠されているはずだからだ。やはり、人が大事であり、人から人に伝える作業は欠かせないであろう。最終的には、そんな情報を含めてAI学習させるのだろうが、表に現れない情報をどう探るかが鍵だろう。私が思うには、研究現場ではAI技術に限界があるだろう。
タイの大学ではノスタルジーに浸っているばかりではなく、彼らの“今風の生き方”に気づくことも多い。日本の若者と同様にスマフォ片手に実験する姿や私より流暢な英語で会話する姿など、あの頃の私とは、かなり違うスマートな姿に、時代の流れを感じることもある。「ノスタルジー」の対義語は「傷心」らしいが、そんな気分にもなる。
写真1 タイ名物、焼肉しゃぶしゃぶをみんなで囲んでいます。
写真2 VISTECのメンバーとの記念写真、皆いい笑顔です。
写真3 マヒドン大学のメンバーとの食事会、バンコック市内にはおしゃれな店ばかり。
写真4 チャオプラヤ川の周辺は大きなビルばかり。
- 著者のご紹介
- 近江谷 克裕(おおみや よしひろ) | 1960年北海道函館市に生まれる。1990年群馬大学大学院医学研究科修了。ポスドクなどを経て、1996年静岡大学教育学部助教授、2001年より産業技術総合研究所研究グループ長に就任、2006年10月より北海道大学医学研究科先端医学講座光生物学分野教授に就任、2009年より再び産業技術総合研究所研究主幹研究員、研究部門長、首席研究員を経て退職、2025年より大阪工業大学、ブカレスト大学客員教授として研究を継続する。生物発光の基礎から応用まで、生物学、化学、物理学、遺伝子工学、そして細胞工学的アプローチで研究を推進する。いまでも発光生物のフィールドワークがいちばん好きで、例年、世界中の山々や海で採取を行っている。