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ルシフェラーゼ連載エッセイ
連載エッセイ ~Elucをめぐる旅の物語~
生命科学の大海原を生物の光で挑む
投稿日 2024年08月20日

- 第126回 Elucをめぐる旅の物語-日本、インド大使館にて-
- 近江谷 克裕
産業技術総合研究所 バイオメディカル研究部門
8月の初め、インド大使館で“光る生きもの“の話をした(写真1)。インドからおよそ30名の高校生が来日、併せて日本の高校生たちも参加した講演会のことである(写真2)。講演者はインド出身の研究者だが、私も講演者の一人としてウミホタルの光のデモンストレーションを担当した。高校生たちは、はじめてみるウミホタルの冷光に興奮気味であった。アリストテレスの時代から、光る生きものは“ヒトと科学”を近づけてくれるものなのかもしれない。
この会の最後にインド大使が講演を行い、さらに質問の場が設けられた(写真3)。日本の高校生(東京周辺の3校が選ばれたようだ)はインドでの生活や日本との関係を質問していたが、私の想像を超える彼らの物怖じしない姿に、この世代の面白さを感じた。一方、インドの高校生の質問は機微に触れるものもあり、「インドと日本、インドと中国の関係は?」の質問に、大使はえらく熱心に中国問題を言及したのに面食らった。想像にお任せするが、公の場で、ここまで発言して大丈夫かと?と思ってしまった。巷ではグローバルサウスの連携を指摘するが、内実はこんなものかもしれない。しかし、15分ほどに及んだ質問会は新鮮なものであったし、この大使に親近感を抱いた。
大使館によると、同時期にインド人大学生も来日中ということで、近くのインド料理店で元気な彼らの姿を見かけた(写真4)。夏休みを利用した若い人たちの世界各地への交流の一環かもしれないが、インドの戦略性の高さを感じた。そういえば、私と一緒に仕事をするタイ人のポスドクはイギリスが開催する開発途上国向けのバイオテクノロジーワークショップに参加、7月のまるごとロンドンに滞在した。インドや中南米からの若手研究者と交流ができたと報告してくれた。限られた交流かもしれないが、世界を変える力と信じたい。ただしこの時期、日本の若者が公の行事として国外交流しているか?の情報は私にはない。
研究所に居て若手研究者を見ていると、その行動半径の狭さに、世界とのずれを感じてしまう。コロナの問題もあったが、この数年、海外の会議に直接出席したことがないのが大半だ。限られた研究費の問題、直近の研究テーマが優先され、海外で情報収集、勉強などし難い状況に、これで良いのものか?と感じてしまう。これは研究所に限ることではなく、日本全体の近視眼的な戦略、支援にもその一因があるのではないだろうか?
この8月にオリンピックを見ていても感じたが、競技ごとのお金の使い方、指導方針が勝負を決めていたように思えた。印象的だったのは馬術、バロン西以来のメダルを獲得したが、その陰にはJRAの支援が有効に働いたことだ。私は競馬には興味がないが、JRAのお金がアスリートの世界に投資・支援されることは、未来に向けたポジティブなメッセージと感じている。アスリートへの支援は色々な形で行われるべきだろう。私が思うのは、日本社会全体にお金がないわけではないので、よって問われているのは、未来に如何に投資するのかだろう。
時折思い出すが、私の所属する研究所の前の理事長は、「研究者はアスリートと同じだ!研究をやり続けることだ!」とよく発言していた。公的資金、民間資金が、決して今でなく、未来を見据えてスポーツアスリートに、さらには研究者アスリートに投資されることを願う次第である。
この会の最後にインド大使が講演を行い、さらに質問の場が設けられた(写真3)。日本の高校生(東京周辺の3校が選ばれたようだ)はインドでの生活や日本との関係を質問していたが、私の想像を超える彼らの物怖じしない姿に、この世代の面白さを感じた。一方、インドの高校生の質問は機微に触れるものもあり、「インドと日本、インドと中国の関係は?」の質問に、大使はえらく熱心に中国問題を言及したのに面食らった。想像にお任せするが、公の場で、ここまで発言して大丈夫かと?と思ってしまった。巷ではグローバルサウスの連携を指摘するが、内実はこんなものかもしれない。しかし、15分ほどに及んだ質問会は新鮮なものであったし、この大使に親近感を抱いた。
大使館によると、同時期にインド人大学生も来日中ということで、近くのインド料理店で元気な彼らの姿を見かけた(写真4)。夏休みを利用した若い人たちの世界各地への交流の一環かもしれないが、インドの戦略性の高さを感じた。そういえば、私と一緒に仕事をするタイ人のポスドクはイギリスが開催する開発途上国向けのバイオテクノロジーワークショップに参加、7月のまるごとロンドンに滞在した。インドや中南米からの若手研究者と交流ができたと報告してくれた。限られた交流かもしれないが、世界を変える力と信じたい。ただしこの時期、日本の若者が公の行事として国外交流しているか?の情報は私にはない。
研究所に居て若手研究者を見ていると、その行動半径の狭さに、世界とのずれを感じてしまう。コロナの問題もあったが、この数年、海外の会議に直接出席したことがないのが大半だ。限られた研究費の問題、直近の研究テーマが優先され、海外で情報収集、勉強などし難い状況に、これで良いのものか?と感じてしまう。これは研究所に限ることではなく、日本全体の近視眼的な戦略、支援にもその一因があるのではないだろうか?
この8月にオリンピックを見ていても感じたが、競技ごとのお金の使い方、指導方針が勝負を決めていたように思えた。印象的だったのは馬術、バロン西以来のメダルを獲得したが、その陰にはJRAの支援が有効に働いたことだ。私は競馬には興味がないが、JRAのお金がアスリートの世界に投資・支援されることは、未来に向けたポジティブなメッセージと感じている。アスリートへの支援は色々な形で行われるべきだろう。私が思うのは、日本社会全体にお金がないわけではないので、よって問われているのは、未来に如何に投資するのかだろう。
時折思い出すが、私の所属する研究所の前の理事長は、「研究者はアスリートと同じだ!研究をやり続けることだ!」とよく発言していた。公的資金、民間資金が、決して今でなく、未来を見据えてスポーツアスリートに、さらには研究者アスリートに投資されることを願う次第である。
写真1 九段下駅から5分程度の場所にあるインド大使館。
写真2 講演会終了後の記念写真。赤いポロシャツがインドの高校生。
写真3 インド大使の講演を聞いている日本の高校生たち。
写真4 インド大使館ご用達、インド料理ムンバイのダブルカレーセット。
- 著者のご紹介
- 近江谷 克裕(おおみや よしひろ) | 1960年北海道函館市に生まれる。1990年群馬大学大学院医学研究科修了。ポスドクなどを経て、1996年静岡大学教育学部助教授、2001年より産業技術総合研究所研究グループ長に就任、2006年10月より北海道大学医学研究科先端医学講座光生物学分野教授に就任、2009年より再び産業技術総合研究所研究主幹研究員、研究部門長、首席研究員を経て退職、2025年より大阪工業大学、ブカレスト大学客員教授として研究を継続する。生物発光の基礎から応用まで、生物学、化学、物理学、遺伝子工学、そして細胞工学的アプローチで研究を推進する。いまでも発光生物のフィールドワークがいちばん好きで、例年、世界中の山々や海で採取を行っている。