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ルシフェラーゼ連載エッセイ

連載エッセイ ~Elucをめぐる旅の物語~

生命科学の大海原を生物の光で挑む

投稿日 2014年04月23日

近江谷 克裕
第2回 ルシフェラーゼElucをめぐる旅の物語
- マンチェスターにて(2) -
近江谷 克裕
産業技術総合研究所 バイオメディカル研究部門
マンチェスターに来て驚いたことだが、マンチェスター・ユナイテッド(通称マンU)のファンよりマンチェスター・シティ(通称マンC)のファンが多いことである。特に、White先生の部屋では先生がリバプールに住んでいるためか、マンUには好意的でない。彼ら曰く、マンCは市民のチーム、でもマンUは世界のチームで親しみが湧かない。また、マンUのお金に頼った補強も市民に受け入れられない、とか。 

マンUの戦略は最近のサイエンスの世界にも、妙に符合する。それは昨今の大型予算による集中研究。これは本当に時機にかなったものであろうか?お金を投資し、スター選手を集めることが本当に科学の進展に貢献するのであろうか?

今回のマンチェスターの訪問であるが、小さいながらイメージングのシンポジウムが開催された。その中で日本のオリジナリティの高さが評価されていた。ユニークな発光・蛍光プローブ群の開発を指すが、これらはGFPを発見した下村脩先生を始め、多くの先人たちの長年の努力の結果である。大型予算も必要だが、地道な研究を育てる勇気も必要であろう。まさに科研費基盤Cのような地味であるが基礎を重視した継続的な小規模資金が重要であろう。

さて日本における生物発光研究の歴史は古い。生物発光を理化学的に研究し、1884年にルシフェリン、ルシフェラーゼを発見したDuboisには遅れるものの1900年代にはアメリカのE. N. Harveyと並び、日本の神田左京がホタルやウミホタルの理化学的研究を開始、スペクトルの解析や生化学的な研究も行なった。その集大成として「ホタル」(写真1)を出版したことは、特筆すべき事である。発光生物の豊かな日本だからこその研究かもしれないが、世界と対等に、それ以上に研究を進めてきた歴史がある。

だからこそ、下村脩先生がウミホタルのルシフェリンの結晶化に成功し、世界を驚かすことができたのであろう。下村先生はこの研究が注目され、海を渡ることになり、そして、ノーベル賞の受賞にいたる発光クラゲの緑色蛍光タンパクGFPを発見した。それ以外にも多くの日本人の貢献が今日の発光・蛍光イメージングの世界の広がりを作ったのであろう。

とはいえ、White先生のラボの設備はすごい。実験室のそれぞれの小部屋には目的の異なる蛍光・発光顕微鏡が並んでいる(写真2)。マンチェスター大学内外の多くの研究者が集まる理由が、そこにある。シンポジウムが終わった後のお酒を含めた活発な議論も多くの研究者にとって刺激的なものであった。

マンUの成功はファンの獲得を世界に向けたからであるが、White先生もまた、イメージングという分野で世界にファンを作ることでビックラボを作ったのであろう。マンUの戦略はこの点でもサイエンスの分野で当てはまるであろう。オリジナルの高い技術を中心に据え、世界の研究者にファンになっていただく。でも、これは日本でもできるはずである。
  • 写真1:神田左京
「ホタル(1935年丸善出版)」
復刻版の裏表紙
(1981年サイエンティスト社)
    写真1:神田左京
    「ホタル(1935年丸善出版)」
    復刻版の裏表紙
    (1981年サイエンティスト社)
  • 写真2:White先生のイメージングセンター 
およそ10部屋の小部屋には
各々蛍光・発光顕微鏡が設置されている
    写真2:White先生のイメージングセンター 
    およそ10部屋の小部屋には
    各々蛍光・発光顕微鏡が設置されている
著者のご紹介
近江谷 克裕(おおみや よしひろ) | 1960年北海道函館市に生まれる。1990年群馬大学大学院医学研究科修了。ポスドクなどを経て、1996年静岡大学教育学部助教授、2001年より産業技術総合研究所研究グループ長に就任、2006年10月より北海道大学医学研究科先端医学講座光生物学分野教授に就任、2009年より再び産業技術総合研究所研究主幹研究員を経て、2012年より現産業技術総合研究所バイオメディカル研究部門研究部門長に就任。生物発光の基礎から応用まで、生物学、化学、物理学、遺伝子工学、そして細胞工学的アプローチで研究を推進する。いまでも発光生物のフィールドワークがいちばん好きで、例年、世界中の山々や海で採取を行っている。特に中国雲南省、ニュージーランドやブラジルが大好きである。
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