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ルシフェラーゼ連載エッセイ

連載エッセイ ~Elucをめぐる旅の物語~

生命科学の大海原を生物の光で挑む

投稿日 2014年09月11日

近江谷 克裕
第7回 ルシフェラーゼElucをめぐる旅の物語
- 特別編・追悼
近江谷 克裕
産業技術総合研究所 バイオメディカル研究部門
悲しい知らせの二日目に涙が止まらなくなった。私がもっとも尊敬する研究者の一人であり、私の恩人であるハーバード大学のWoodyことJohn Woodland Hastings先生が8月6日87歳でこの世を去った。知らせは下村先生からの転送メールであったが、その日は世界中の友人たちにメールを転送した。漠然とした感情の中、二日目の夜、急に涙があふれ出した。寂しい、悔しい、なぜ、去年、会っておかなかったのか。

私が研究を始めた当時、Woodyはバイオルミネッセンスの世界の大ボスであり、彼の総説、論文を読まなければ、この世界で学問ができないほどであった。Woodyは発光バクテリアや発光渦鞭毛藻研究のパイオニアであり、生物発光だけでなく生物時計の研究でも大きな成果を上げていた(論文だけでも430編を越える)。バクテリア内の発光におけるエネルギー移動原理を明らかにしたが、さらには発光クラゲより下村先生が発見した緑色タンパクのエネルギー移動に着目、緑色蛍光タンパクGFPと命名したのはWoodyである。

最初の出会いは1993年11月のハワイの生物発光シンポジウム。Woodyは米海軍のグラントを利用し盛大に学会を開催する側であり、雲の上の存在であった。私は発光クラゲ、発光甲虫と研究を進めていたが、Woodyの研究に触発され身近に育てながら研究できる発光性渦鞭毛藻に興味を持った。どうしても研究したくて今は亡き名古屋大学の中村先生に仲介いただき、Woodyより自由に研究してよいと言われたのは静岡大学の教官になった頃である。

40代を迎える頃、研究者は不安な気持ちになることがある。本当にこのテーマで研究してよいのか、良い論文を書けるのか、世界と対等に戦っていけるのか、本当に世界に認められるのか、などなど。そんな2000年、Woodyからサンフランシスコで開催される全米光生物学会で一緒に座長をやらないかと誘われた。Woodyが気にかけてくれたことが、本当にうれしかった。日本の若僧研究者を激励していることを肌で感じることができた瞬間である。その後、シカゴ、ケベック、ボルチモア、そして2004年のシアトルと、毎年、Woodyの横で座長を務めることができた。何か、一つ越えることができたと思ったのもこの頃である。

Woodyとは直接の師弟関係にはないが、私の弟子たちの何人かはWoodyのラボでポスドク生活を経験した。彼らに会うと称して何度もWoodyの元を訪ね、議論を重ねた(写真1)。Woodyは例外も含めた大きな原理を大事にする研究者である。例えば、下村先生はルシフェリン・ルシフェラーゼの定義を大事にし、発光クラゲの発光は発光タンパク・フォトプロテインによると考えたが、Woodyは “ルシフェリンが充電された状態のルシフェラーゼ” とし、いつも決まって、「ヨシ、フォトプロテインはおかしい、第一に、タンパクは光を出さない、どう思う」と聞くのである。Woodyは生物発光全体を一つの現象としてとらえようとしていたのであろう(写真2)。

Woodyの奥さんは数年前に亡くなったHannaである。Hannaは第二次世界大戦のとき、戦争から逃れるためフランスから来たそうである。いつのことかは忘れたが、雨が降る寒い夜のハーバードスクエア近くのレストランのことである。楽しい食事会も終わった別れ際、仲睦ましく寄り添うWoodyとHannaが玄関で同時に振り返って別れを告げた時の、二人の茶目っ気たっぷりの笑顔を、いつまでも忘れることができない。 
  • 写真1: Woodyと私、研究室での一コマ
    写真1: Woodyと私、研究室での一コマ
  • 写真2: Woodland Hastingsと
Therese Wilson著“Bioluminescence”の
裏表紙で私にあてたメッセージ
    写真2: Woodland Hastingsと
    Therese Wilson著“Bioluminescence”の
    裏表紙で私にあてたメッセージ
著者のご紹介
近江谷 克裕(おおみや よしひろ) | 1960年北海道函館市に生まれる。1990年群馬大学大学院医学研究科修了。ポスドクなどを経て、1996年静岡大学教育学部助教授、2001年より産業技術総合研究所研究グループ長に就任、2006年10月より北海道大学医学研究科先端医学講座光生物学分野教授に就任、2009年より再び産業技術総合研究所研究主幹研究員を経て、2012年より現産業技術総合研究所バイオメディカル研究部門研究部門長に就任。生物発光の基礎から応用まで、生物学、化学、物理学、遺伝子工学、そして細胞工学的アプローチで研究を推進する。いまでも発光生物のフィールドワークがいちばん好きで、例年、世界中の山々や海で採取を行っている。特に中国雲南省、ニュージーランドやブラジルが大好きである。
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